枇杷や書館
報鍬譚
桜昨日酔っぱらっていたせいか、変な時間に目が覚めた。全く嫌な夢を見たもんだ。虫なんか助けたからだ。
「大丈夫?」
「平気、平気。ただの二日酔い。ちょっと頭痛いくらい」
「そうなの? 薬出そうか?」
「うん、向こうの一番下の引き出し」
「えーと、あったあった。これだね」
「ありがと。でさ、言いたいことがあるんだけど」
「何?」
「お前は一体何なんだ」
心配そうに私を見つめていたクワガタムシが、小さく驚いたような声をあげた。デカいの範疇を超えたサイズの喋るクワガタムシ。改めて直視すると、ご丁寧に服を着ていることに気付いた。真ん中の脚がワイシャツの中で僅かに動いている。ベッドの横に後脚で胡坐をかいて座り、いやあ、と照れたような声をあげてから前脚で触角を擦った。身体はおかしいにしても、どう見ても動きは人間だ。私の目がおかしくなったんだろうか。でも枝と見まごうほどの黒光りして太いクワガタムシの脚は、動きや外見からみても明らかに本物だ。触角を弄るのをやめ、咳払いのような声をあげると、クワガタムシはせわしくブラシ口を動かしながら言った。
「何って、見たとおりだよ」
「クワガタムシが喋るわけないじゃん」
「俺もビックリなんだ」
「何で朝ごはん作ってたの」
「昨日、俺のこと助けてくれたから」
「つまり、恩返しってこと?」
「そう。昔話にもあるでしょ? 俺は今日からお婿さんになる。不束者ですが、よろしくお願いします」
「ふざけんな。殺虫剤って化けクワガタにも効くの?」
「酷いこと言うな。ふざけてないし、俺は恩返しをしに来たのに」
「もっとましな方法なかったの? せめて人に化けるとか」
人に化けていたら化けていたで、昨日助けてもらったクワガタムシを名乗る男がいきなり現れていたら即刻警察を呼んだだろうが。
「それなんだよ。何で雪ちゃんにだけクワガタに見えるんだろうね」
このクワガタムシは文字まで読めるらしく、教えていない私の名前まで知っていた。
「気安く私を雪ちゃんとか呼ぶなよ」
「雪ちゃんも俺のことクワガタムシって呼んでるじゃないか。それとも小雪って呼び捨てが良かった?」
「呼び捨てたら叩き出す。だいたいあんた名前無いでしょ」
「でも、雪ちゃん以外には人間の男に見えてるんだよ」
なんだかもう訳が分からなくなって、頭を抱えると、クワガタムシの脚が私の頭に乗っかった。毛でも毟られるのかと思ったが、ぎこちなく動かしているので、どうやら撫でているつもりらしい。クワガタムシはそのまま静かに話し始めた。
「昨日ね、雪ちゃんが俺を起こしてくれなきゃ、本当に死ぬところだったんだ。本当に嬉しかった。でも、あの時雪ちゃん元気なさそうだったから、どうしたら恩返しができるか考えてたんだ。でも飛んでるうちに、殺虫灯にぶつかって死んじゃった」
「結局死んだんじゃん」
「うん。それで、仏様にどうしたら恩返しができるか聞いたらね、特別に人間としてこの世に戻してもらえるようになったんだ」
「良かったじゃん」
「でも、おかしいよね。恩返ししたいのに、肝心の雪ちゃんには虫のまんまに見えるなんて」
私を撫でていたクワガタムシの脚の動きが止まった。私が少し顔をあげると、人間がするように頬を掻いた。
「まあ、あんまりいいことなかった俺だけど、雪ちゃんの元気が出るように頑張るから。 よし、フレンチトースト温めなおしてくるね」
そういうと、クワガタムシはうきうきしながら台所へ戻っていった。
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