枇杷や書館
報鍬譚
家にクワガタムシが住み着いてから、心なしか事が順調に運ぶようになってきた。持ってきてくれた求人広告にあったバイトが早々に決まり、生活費を得ることができた。クワガタムシも働きだして、収入は倍になった。あいつは食べ物は蜂蜜などしか食べないので食費も安い。働き出しても暇なようで、こまめに家事をやってくれる。ただ、元夜行性なので夜中に大人しくしていないのと、水道代が増えたのが難点だった。それには目をつぶるとしても、十分に快適な生活を送っている。クワガタムシには申し訳ないくらい幸せだ。
「ほんと、ありがたいよ」
「何が?」
日頃の感謝を込めて、私が二本の顎を磨いてやっている時、呟いた一言にクワガタムシが反応した。
「あんたが来てくれて、できることが増えたし」
「本当? 俺、役に立ってる?」
「うん。あーでも、まだ姿がクワガタムシなんだよね」
「うんうん。いいよ。雪ちゃんとまだいられる」
「変なの。恩返しなんて大変なのに」
「俺が望んでここにいるんだよ。もし俺が満足したら成仏するかもね」
「成仏とかあるんだ」
「ねえ、もし俺がいなくなったら、寂しい?」
「寂しいね。部屋が広くなるし」
「そっかぁ」
磨いている途中だというのに、顎を動かそうとしたのでよろけてしまった。背中を軽く蹴飛ばすと、変な声をあげて翅をばたつかせる。黒光りする例の虫を彷彿させるその動きを見て、思わず私も変な声をあげた。それに気分を害したのか、クワガタムシは服を脱ぎ捨てて虫のまんまの姿になると、四本の脚で器用に私を捕えた。
「ゴキブリだぞーこわいだろー」
「やめろ! 名前を出すな!」
「やめて欲しかったら謝れー」
「離せ! キモイ!」
「謝らないとずっとカサカサしてやる」
謝れという割には楽しげにしているクワガタムシ。逆に私が頭にくる態度だ。腹に肘鉄を喰らわせたり、必死に暴れたりしたがどうにも離してくれない。終いには息苦しくなって、私がぐったりしていると、心配したのか顔を合わせるような形に抱きしめなおした。
「あ、謝るから離して」
「じゃあ、大きな顎のとっても素敵な秋広さん許してくださいって言って」
「顎の、とっても素敵な、秋広さん」
「感動だなぁ。雪ちゃんが褒めてくれた。秋広って呼んでくれた」
「言わせたんだろ! だいたい、何で秋広なんて名前にしたの」
「雪ちゃんが小雪だから、秋広」
「許してください、これで良い?」
「許してあげる」
(7/10)