枇杷や書館
福利厚生のすす め
「俺嬉しすぎてやばいわあ! 痛い? ねえ痛い? 嬉しいから仕方ないだろ? お前も嬉しいよな!」
そこには、血まみれで倒れこんでいる上妻さんの頭上にアタッシュケースを何度も振り下ろしている五月女さんがいた。目つきがさっきと明らかに変わっている。似合ってなかった派手なブランド服とピアスが、今では他にないくらいピッタリに見えた。僕の人生で初めて、目の前で繰り返される激しい暴力。僕にはとてもこの現場に踏み込むような勇気はないが、目を離す余裕もなかった。もう上妻さん死んでるんじゃないかってくらい殴った後、急に五月女さんは糸が切れたように倒れた。すぐに僕は会議室に駆け込んで鍵を閉める。
「上妻さん! 大丈夫ですか!?」
「う……まあ、な、慣れてるからな」
意識はちゃんとあるようで、苦しそうだがちゃんと喋っている。彼が嫌そうな顔をしていた理由はこれだったのか。僕に運がいいって言っていたのは本心からだったんだろう。通説ではなく、本当に上妻さんの方がマトモに見えてきた。僕が持っていたハンカチで彼の額を拭いていると、白目を剥いていた五月女さんが目を覚ました。先程のことを思うと、ぞくりと背筋に寒気が走る。
「ん……あ、吉田君? 上妻は……あ! 大変だ、どうしようどうしよう、き、救急箱とってくる!」
先程の恐ろしい表情から、いつもの小動物に戻っていた。部屋の様子に動転したらしく、慌てて部屋から出ようとしてドアにぶつかる。鼻を押さえながら鍵を開けて、会議室から出ていった。
「一体何したんですか?」
「元からああなんだよ……普段は良い方なんだけどね。はあ、嬉しいこととかがあると人が変わるんだ。……愛は暴力って言って、前触れなく殴られる」
「何ですかそれ……」
「暴れた後は本人は覚えてないんだ」
「それは酷いですね……なんで抵抗しないんですか?」
「ふふ、暴力は愛だから、やり返したら気持ちに答えようとしてもっと殴られるぞ」
「うわ……」
「持ってきたよ!」
裏返った声とともに救急箱を手にした五月女さんが戻ってきた。急いで僕と五月女さんが手当てしようとすると、なぜか上妻さんは僕たちを制止した。
「手当ては良い」
「どうしてです? だってすごい血が……」
「いいよ。でもハンカチは貸してくれるかな? 洗って返すから」
「それは良いですけど、傷口が保護できませんよ」
「いいんだ。髪で隠れる」
「でも……」
少しよろけているが、ゆっくりと立ち上がる上妻さん。本当に大丈夫なのだろうか。
「さ、仕事しに行こうか」
「ちょっと、帰った方が良いですよ!」
「私は丈夫だから。平気だよ」
僕が彼の肩に触れようとしたのを、五月女さんが止めた。
「彼がいいって言ってるから……あと、今下向いちゃだめだよ」
(9/10)