枇杷や書館
福利厚生のすす め
背中を押され、無理矢理どこかに連れて行かれる。た、隊長ってさっきの機密を仕入れてきた人じゃないか。大人しそうな顔してなんてことしてるんだ。半ば押入れられる形で給湯室に閉じ込められる。暫くすると、五月女さんが困った顔をして入ってきた。
「上妻に言われてきたんだけど……辞めたいんだって?」
「こんな仕事だとは思ってなくて」
「そっか……まあ、初めはみんなそうだよね。座りなよ」
彼は置かれていたパイプ椅子を僕の方に押しやってから、こめかみをコリコリと掻いた。恐る恐る僕が席に着く。一瞬だけこちらを確認すると、彼はおもむろに冷蔵庫を開けた。
「これ、うちの商品なんだけど、知ってる?」
取り出したのは、ドリンクタイプのダイエット食品だった。今若い女性の間で人気らしく、効果も折り紙付きらしい。ここの会社の商品というのは初めて知った。
「ええ。テレビでも特集されてたの、見たことあります。……まさか、それもどこかから盗んできたんですか」
「はは、これは違うよ。ちゃんとうちのオリジナル商品。これはね、君がここに来る前にいた人が作った商品なんだ」
「え、その人って」
「今は別にところにいるよ。新卒で入ってきたときは営業部にいて、5年前にここに移ってきたんだ。とても優秀で、正義感も強かった」
少し遠い目をしてから、五月女さんはドリンクを机に置き、背広の胸ポケットから煙草を取り出した。僕にごめんね、と一言言ってから、換気扇の下で火をつける。大きく息を吐いてから、また話し出した。
「だから、少しの間は真面目に仕事してたんだけど、やっぱり辞めたいって言ってきたんだ。とても惜しい人だったから、もう少し考えてくれないかって、社長が彼に休暇を出したんだよ」
「社長が直々に、一般の社員にですか?」
「破格の待遇だよね」
口封じもされないし、むしろこの不況のご時世に引き止めてもらえるなんて、よほど大事にされていたんだろう。だけど、そんなの普通ならあり得ない。マネキンより生気のない顔ができる社長のことだ、きっと海にでも沈めたんじゃないだろうか。彼の言った別の場所は天国のことかもしれない。最悪の結果を考えながら話の続きを聞いた。
「それで、彼はどうしたんですか?」
「暫く一人になりたいとか言ってたから、南アメリカ大陸、アマゾンのど真ん中に置いてきたよ。帰るとき社長は彼にこう言ったんだ。『1ヵ月後に迎えに来るから、それまでに新商品のアイディア、よろしくね』 って」
……え?
「ああ、彼は今の君と同じような吃驚した顔してたなあ。それで結局、僕たちが忘れてて迎えに行ったのが3ヵ月後だったんだけど、彼はちゃんと生きてたんだ。見た目はだいぶ変わってたし、言ってることも水上以上に支離滅裂だったけどね。彼がその時握り締めていた植物は、なんと空腹感を減退させる効果があったんだ! 彼はちゃんと約束を果たしたんだよ。すごく仕事熱心だよね」
「彼は、今どちらに?」
「やたら塀の高い大学病院にいるよ。親御さんも可哀想だったな、旅行中の不慮の事故とはいえ息子さんがあんなになるなんて」
旅行中の?
不慮の事故?
海に沈めるなんて生ぬるいものじゃなかった。それに殺すなんて生易しいことでもなかった。ここの部署に入ったら最後、壊れるまで使われて潰されるんだ。さっきから手汗が止まらない。震えそうになる身体を必死に抑えた。何で僕はこんな部署に配属させられてしまったんだろう。五月女さんは一息煙を吸い込んで、フィルターだけになった煙草を蛇口の水で消した。
「で、本当に辞めちゃうの?」
「やっぱり何でもないです」
「そう? まあ、無理もないとは思うけどね。君みたいな普通の若者には、僕らがおかしく見えるだろうから……」
自嘲気味に五月女さんが眉を下げて笑う。彼の言う通り、さっきから思っていたことだ。人を使い捨てる社長に、刃物を向けてくる奴に、倫理観のおかしい先輩方。何でこんな人ばかりいるんだろう。よくよく考えると、僕以外の全員が同じ場所の出身らしい外国人だ。何か訳があるんだろうか。
(5/10)