枇杷や書館
福利厚生のすすめ
人の気も知らないで終始ニコニコしている上妻さん。僕は彼の後ろについて降りた。革靴の軽快な音だけが廊下に響いている。少ししてから、彼は役員室のドアを開けて入っていった。
「皆さん、連れてきました」
ああ、次の瞬間には偉そうなおっさんたちに囲まれているに違いない。腹をくくって僕は一礼した。
「失礼します。吉田です」
ゆっくりと顔を上げる。目の前には、僕の想像とは違う景色が広がっていた。室内は小奇麗なオフィスになっていて、広いのに5人し
かいなかった。そのうち2人は普通の社員と何ら変わりなくパソコンに向かって仕事している。僕以外全員外国人なのが気になったが、それでもあまりの普通さに拍子抜けした。雰囲気も堅苦しくなく、これなら何とかなりそうだと少し希望が持てた。一番奥に座っていた男性が立ち上がり、僕の方に向かって来る。上妻さんと同じような髪の色だが、こちらは目の色が濃い。背も高いし、脚は長いし、絵の中から飛び出してきたような人だ。
「初めまして。君が吉田君だね。君を呼び出すのにまどろっこしい真似をしてすまなかった。ここに勤めることは、あまり知られない方が良いだろうと思って」
「いえいえ、そんな……」
名乗ったわけではないが、他の人たちの様子を見るにたぶん社長だろう。入社式にはいなかったから初めて会うのだが、とても愛想のいい人だ。ただ、本当に微笑んでるのか困惑するくらい目が笑ってないのが気になったが、もとからそういう笑い方をする人なんだろう。彼は仕事をしていた2人と、右手のソファに座っていた2人を呼んだ。これで僕の上司が勢ぞろいしたわけだが、見事に僕1人を除いて美男美女しかいなかった。こんな風に迎えてくれる職場があるだろうか、いやない。絶対ない。上妻さんが1人ずつ紹介をしてくれた。
「もう私のことは知っているから省略するよ。では、私の上司から。この方は役員のサオトメさん。この中では最年長で、私ら下っ端役員を纏めてくれる方だな。五月に女と書くんだ。珍しい苗字だろう? 本人は気に入ってないから、隊長ってあだ名つけたんだ」
「上妻、余計なことは言わなくていいよ……」
ベリーショートの頭を照れくさそうに撫でてから、五月女さんが僕に名刺を渡してくれた。小動物みたいな大人しそうな顔つきで、物腰も柔らかい。しかし、あまりカッコいいとは言えない服のセンスで、ブランドものらしいが妙に派手だ。どことなくマフィアっぽい。耳にピアスをしているけど、正直似合ってない。せっかく本人はカッコいいのに、少しもったいなく感じた。でも、彼がそういうのが好きなんだろう。
「よろしくお願いします」
「じゃあ次。私の同僚の伊織」
編み込みされたセミロングの髪の先をいじりながら、伊織と呼ばれた女性が僕に視線を向けてきた。あまりにじろじろ見てくるので何も言えずにいると、不意ににっこりと笑った。
「よろしくね、吉田君」
「あっ、はい」
綺麗な人の笑顔にどきりとして、思わず後ろ頭を掻いた。うーん、職場に華があるって素晴らしい。上妻さんがからかうような声で僕に言った。
「ふふ、伊織はこう見えても性格は最悪だからな。喋るときは注意した方が良いぞ」
「やだ、もう。死になよ上妻」
「黙れブス。で、次は水上。社長が奥様の身の回りの世話のために雇った奴だから、会社の人間じゃないんだが」
なんだか尋常じゃないやり取りの後、フラフラと前に出てきたのはソファに座っていた男の人だった。前髪が目にかかるくらい長い。至近距離から見て気づいたのだが、眼の下のクマが恐ろしく濃い。元から大きい目がさらに大きく見える。その上焦点が僕に合っていない。……何なんだろうこの人。
「水上」
「……」
「……水上?」
「…………あっ、うん。は、初めまして。わ、わた、私は、会社の人間じゃ、な、ないんだけど」
「それはさっき私が言っただろう」
彼はビクリと体を震わせて上妻さんの方に向いた。
「え、あ、そうなの? えと、じゃあ、わたし、私は愛様のお傍にいつもいるんだ、うん、いつも」
「は、はあ……」
「だから、私は、会社の人間じゃないんだ。うん、それで、えと、愛様の近くに」
「もういい、水上。わかったからちょっと下がってろ」
「うん」
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